新天糸百科
蚕糸文化
一、シルクと蚕糸の歴史及び発展
蚕糸は中国人にとって一番古い誇りである

あらゆる中国人は皆中国の歴史上のシルクロードを知っており、大部分の人は蚕糸が中国に起源し、欧米で大々的に広められ、近代ではさらに日本人に至宝とされていることを知っている。でも現在には天然な蚕糸はなぜ中国人の一番古い誇りだと知っている人が少ない。嫘祖が養蚕と蚕糸の生産を押し広めてから、中国人はシルクと密接な関係を結ぶようになった。周と秦の時代の絹織物、漢の時代の絵、唐の時代のシルク、現在の杭羅、蜀錦に至っている。人類文明の発展史において、シルク製品は、絶えず人類の生活と互いに密接な関係にある。

シルクーー中国独特な産物

紀元前206年にシルクロードが開通する前まで、中国以外にはシルクがなかった。シルクロードは漢の武帝が建元二年(紀元前139年)に張騫を西域【月氏】に使節として派遣した時から始まったのである。紀元前105年からようやく徐々に西洋に広く伝わるようになった。シルクが9600キロのシルクロードを経て、ローマに運ばれ、市場に出されるのは、既に中国を離れて一年後のことであった。シルクロードを経てローマ帝国に輸入されたシルクが当時の黄金に相当する値段であったにもかかわらず、ローマの婦人たちは競って身につけていた。中国人はミルクを輸出していたものの、ミルクの作り方が一切教えてなかった。そのため、西暦紀元前100年のとき、有名なローマの作家Vergilはミルクが木に生きると思った。
    中国は養蚕と蚕糸生産の秘密を3000間後までずっと守っていて、紀元522年ローマ帝国の査士丁尼は懸賞をかけて、景教徒の修士二人が中国へ行って蚕の卵を550個を盗んで、コンスタンティノポリスにある桑の木において孵化して茧をつむぎはじめた時、西洋人はいよいよ蚕の糸の秘密を知ってきた。

蚕糸——世の中で最も人体の皮膚に接近する繊維

蚕糸の形成と特性
    ·蚕は昆虫で、鱗翅目に属して、蚕の幼虫は四回脱皮すてから、まずひと筋の絹糸を吐いて、それから足場を組み上げて、まゆの骨組みとして、まゆを作るという工程は2〜3日かかる必要とする。どの成熟した蚕にも900余りの腺細胞からなる絹糸腺が一対ある。
    ·絹糸腺から分泌される絹糸タンパク質は最初液状を呈していたが、スプールから吐き出された後、空気に触れるとすぐに硬化し、シルク繊維になる。
    ·シルク繊維は内外の組織であるフィブリン(約75%)とセリシン(25%)によって構成されている。
    ·蚕糸の中心はまだ35%の蚕糸容積の隙間がある、外部に被さっているのセリシンタンパクも、視水側鎖アミノ酸が含める、蚕糸に極めて良い吸湿効能を備えた。例え暑く時でも、その自身は相変わらず気持ちく涼しい。

    ·絹繊維は単位断面積で35-44kg/c㎡の張力を受けることができる、そして、1/7を引き伸ばす後、まだ元の姿に戻ることができる。優秀な弾性を有して、柔らかく。